2025.06.23
AND ARCHI
余白がある家は、ちょっとかっこいい
余白ってなんだろう?
余白って言葉、なんだかふんわりしていて、建築の専門用語っていうよりは、むしろ“美学”に近い。だけど、暮らしにとってこの“余白”があるかどうかで、住まいの“感じの良さ”はまるっきり変わってくる。
ぼくが思う「良い家」って、必要なモノがあるだけじゃ足りなくて、“なくても困らない空間”があることが大事だと思う。たとえばソファの横の、ちょっとした空きスペース。そこに観葉植物を置いてもいいし、子どもがその辺でお絵描きしててもいい。誰もいないけど「いるかもしれない場所」。
そういう“いてもいい場所”がある家って、どこか心がほぐれる。
「決めすぎない」って、贅沢。
設計の打ち合わせで、「この空間、何に使うんですか?」って聞かれることがある。たしかに、そう思うよね。だって、家づくりって“機能”の積み上げみたいに見えるから。
でもね、全部が決まってる家って、ちょっと息苦しくない?
決めすぎないことで、住む人の想像力が活きてくる。余白って、後から“意味が出てくる場所”なんだと思う。
余白があると、家具が映える
これは完全に体感の話なんだけど、家具がかっこよく見える家って、たいてい“引き算”がちゃんとできてる。家具のまわりにちょっと余白があると、それだけで画になる。余白があると、モノが“選ばれてる”感じがする。
逆に、全部の壁に棚がついてたり、スペースがギチギチに詰まってると、どんなにいい家具でもただの“情報”に見えちゃう。
“余白”は、暮らしの自由度
余白って、物理的な空間だけじゃなくて、「なんとなく使っていい場所」があるってことでもある。
子どもが転がる場所。来客のコートを一時的に置ける床。なんか寂しくなった夜に、一人でホットワイン飲める窓辺。
そういう自由度のある場所が、実は住まいの“余裕”だと思う。
余白と“間合い”
家族って、常にベタベタしてるわけじゃない。適度な“間合い”がある方がうまくいく。リビングの端っこで、奥さんがスマホ見てて、自分は本読んでて、子どもは床でLEGOしてる──それぞれが別のことしてるけど、なんとなく“つながってる”空間って、めちゃくちゃいい。
その“なんとなく”を支えてるのが、余白なんだよね。
余白は、時間の貯金
今は何も置いてないけど、いつかピアノを置くかもしれない。
今は寝室だけど、将来は親を呼んで同居するかもしれない。
そんな「未来の可能性」を残しておくって、すごく大事だと思う。
余白がある家って、時間に対して柔らかい。変化に対してオープンな感じがする。これは建築の性能では測れない、ものすごく重要な要素。
“設計しない”を設計する
建築って、「ここにこれを置いてください」って決める行為じゃないと思う。むしろ、「ここは好きにしてください」って言える勇気のほうが大事だったりする。
ぼくはそれを、“設計しないことを設計する”って呼んでる。
つまり、余白をちゃんと設計するってこと。そこには「なにかが起きるかもしれない」っていう、ちょっとしたワクワクがある。
暮らしに艶を
余白のある家って、なんか艶っぽい。ガチガチに整ってるより、ちょっとした“ゆらぎ”がある方が、暮らしって色気が出ると思うんです。
観葉植物がふらっと置いてある感じとか、ラグがちょっと曲がってるとか、光の入り方で時間が変わって見えるとか。余白があるからこそ、そういう“ムード”が生まれる。
余白って、実は「暮らしのエモさ」をつくる要素なんだと思う。

余白って、ぜいたく。だけど、それがあるだけで家はぐっと“自分のもの”になる。
暮らしは、決まった通りにいかないからこそ楽しい。だからこそ、余白がある家に住みたいと思う。
詰め込みすぎず、空けておく。
それが、ちょっとかっこいい家のつくり方です。
【公式HP】
Editor

君島 貴史 Takashi Kimijima
andARCHI(アンドアーキ)編集長
1975年東京生まれ。横浜を中心に150棟以上の建築家との住まいづくりに携わる。デザインと性能を両立した住宅を提案し続けています。「愉しくなければ家じゃない」をモットーに、住宅ディレクターとWebマガジン「andarchi」の編集を行っています。
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